ジャーナリズムとしてのマスコミのあり方に批判が高まってきています。特にネットではその熱い議論が盛んです。先週もUSTREAMをつかった同時中継で、シンポジウム「『小沢VS検察』にみる検察と報道のあり方」、さらに、USTREAMとニコニコ生放送を使った「第一回 朝までダダ漏れ討論会『どうなるこれからのジャーナリズム!』」が連続してありましたが、どちらもネットを通して多数の参加者がありました。おそらく主催者が想定した以上の盛況であったと思います。

とくに、問題になってきているのが、報道の自由として勝ち取ってきたはずの記者クラブが、検察や官僚による世論操作の装置となってしまっていることへの批判です。また首を傾げるような質の悪い記事の増加です。マスコミのジャーナリズムとしての問題、またネット論壇からの批判を検証しているのが佐々木俊尚さんのこの一冊で、ぜひ読んでおきたい一冊です。献本ありがとうございました。

ジャーナリズムとしての問題はさておき、新聞が広告メディアとしては斜陽化の道をたどってきており、ついにインターネット広告に抜かれたことが鮮明になってきたことをこのブログで指摘させていただきました。

しかし、日本の新聞社は広告収入だけで成り立っているわけではなく、広告費収入が減っても、すぐさま経営が破綻するということにはつながりません。広告収入の減少によって破綻があいついだアメリカの新聞社と違って、日本の新聞社は、販売収入が広告収入よりも多いという特殊な構造があるからです。再販制度で守られているということもあるでしょう。そのことが新聞社の変革を遅らせる原因ともなっているのではないかと思えます。

ところが、この販売収入を支えている購読数ですが、発行部数が正直に購読数なのかという話はさておいて、公表されている発行部数もじわじわと減少してきています。それは、新聞社にとってはボディブローのように効いてきます。なぜなら、紙媒体である限り新聞は印刷工場を抱えた装置産業であり、発行部数の減少は装置維持の固定費が重くのしかかってきます。全国紙各社が赤字転落というなかで、地方紙はもっと厳しい状況といわれており、おそらく年内にも新聞社の再編が起こってくるはずです。

企業努力によって発行部数の減少に歯止めがかけることができるのかですが、それは極めて厳しいだろうと思います。限られた紙面で「総合」を追求している限り、駄目だろうと言うことです。情報化が進み、情報の幅も、深さも求められてきいるにもかかわらず、物理的な制約がある紙面で「総合」であろうとすることは、百貨店が辿ってきた道と重なって見えてきます。...